マルトゥッチについて

2022年8月7日

マルトゥッチについて

 

オペラ

前回のチャイコフスキーに続いて、マルトゥッチのピアノ曲集のCDを聴いてみました。

19世紀後半から20世紀初頭にかけてイタリアで活躍した作曲家で、指揮者やピアニストでもあり、イタリア人でありながら、オペラには手を付けず、器楽曲、交響曲や室内楽の作品を残しているようです。

その中から、ピアノ曲で6つの小品op.44、小説op.50、幻想曲op.51、2つの夜想曲op.70というもの。

 

 

概要1

 

私はこれまでマルトゥッチという人の作品を聞いた覚えがなく、おそらく初めて聴いたような気がします。

演奏はアルベルト・ミディオーニというピアニストで、こちらもまったく馴染みのない人ですが、そういう初めてづくしというのも面白いものです。

 

作風は、とくだん個性的とは感じませんでしたが、耳に違和感のない後記ロマン派風の作品という感じで、新しい音楽を目指した人のようには思いませんでしたが、馴染みやすい和声に乗って展開していく作品は充分に楽しめました。

イタリア的というより、国籍を感じさせない19世紀後半のロマンティックな作品という印象。

 

 

概要2

 

ウィキペディアによれば、指揮者としてはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のイタリア初演をした人だそうですが、作曲者としては器楽曲などに注力したようです。

 

また、トスカニーニは繰り返しマルトゥッチの作品を採り上げ、マーラーはニューヨークの告別演奏会でマルトゥッチのピアノ協奏曲を指揮、アントン・ルビンシュタインも彼の作品をレパートリーに入れていたということなので、20世前半はそれなりに人気のあった作曲家だったようですし、イタリアの作曲家で音楽学者のマリピエロは「マルトゥッチの交響曲第2番は、オペラ以外のイタリア音楽の再生の原点」とまでいっているとか。

 

考えてみると、イタリアは音楽発祥の国でありながら、古典作品とオペラ以外の作曲家という点では、これという人はあまり思い浮かばず、パッと思い出すところではパガニーニやクレメンティ、レスピーギなどで(忘れている人がいるかもしれません)で、さほどは思いつきません。

 

あまりマルトゥッチの作品についてどうこう言う資格も自信もありませんが、悪くはないけれど、有名作曲家として燦然たる地位に列せられるほどのものとも思いませんでした。

聞き手の心を強く捉えて離さないような、強烈な個性と魅力が希薄なのかもしれません。

このように多くの作曲家によって膨大な作品が書かれながらも、現代でその作品を音として耳にすることができるのは、まさに一握りに過ぎないことを考えさせられました。

 

 

概要3

 

その前に聞いていたCDがブリュートナーによるチャイコフスキーの歌曲編曲集で

あったことはすでに書きましたが、それからこのマルトゥッチのCDに入れ替えてまず初めにのけぞったのは、それまでブリュートナーのドイツ的な響きにしばらく慣れていた耳にとって、(おそらくスタインウェイだろうと思いますが)なんという柔らかな、まるで弦楽器のようなピアノかということでした。

 

それぞれの個性なので、優劣をつけようというのではなく、その違いは衝撃的だったのです。

メーカーによって、おなじピアノでも目指す音の方向性や美意識というものが、こうも異なるものかということに改めて驚いたと同時に、お国柄やメーカーによる違いがこれほどあるということは、なんと面白い事でしょう。

ちなみにスタインウェイは、ドイツ人一族の天才的な設計がアメリカという豊かな土壌で開花した特殊なピアノであり、これはドイツピアノともアメリカピアノとも言い難い、国籍で語ることの難しいピアノだと思います。

 

 

まとめ

 

私見ですが、最新のベヒシュタインはYouTubeなどをみていると、グランドはかなり音色が変わり、現代的な洗練方向に振ってきたように思います。コンサートグランドでいうとENの時代からD280で大きく変革し、その後も振れ幅はあったようですが、最新のD282はフレームと弦の間のフェルトが、アップライトが一足先にそうであったように伝統のモスグリーンから紺色に変更され、よくみると碗木の形などもわずかに変化しており、何よりもその音は、剛健なドイツピアノというより、しなやかで色彩的なものになり、かつてのイメージとはだいぶ違ったものになってきたように感じます。

 

ベヒシュタインがドイツピアノ路線からやや離脱しはじめたかに思える現在、かつてのような武骨なまでのドイツピアノらしさというのは、このブリュートナーやシュタイングレーバーあたりになってしまうのか?と思います。

さらに言うと、かつてのブリュートナーはドイツピアノらしさの中に艶っぽい声が聞き取れましたが、チャイコフスキーのCDではより骨太の逞しい感じになったような印象を持ちました。

そういう意味では、かつては剛のベヒシュタイン、柔のブリュートナーというイメージでしたが、ここにきて逆転現象が起こっているのかもしれません。

あくまで、CDやYouTubeでの印象ですが。

オペラ1

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